Taiwan 1st
Search Taiwan1st
Taiwan
English Française 日本語 中文
Opera Video

André Chang , Ph.D.

<<     Listing     >>

「偽」から「真」へ切り替える日本

translated by  西 村 眞 悟
2007-12-31

           「偽」から「真」へ切り替える日本
                         No.323 平成19年12月30日
(日)
                              西 村 眞 悟

 はや今年も二日を残すのみとなる。
 ここ数日間、事務所にも家にも帰ることなく過ごし、
新鮮な気分になって吉野の吉水神社・勝手神社と後醍醐天皇陵に参拝してから昨日
二十九日に帰宅した。新鮮な気分になれば、吉野の新鮮な空気を吸いたいと思った
からだ。
 言うまでもなく、吉野は南朝の御所のあったところ。吉水神社はまさにその御所
である。吉水神社では、今に残る後醍醐天皇の玉座の前に礼をし、役行者の像に気
合いをかけて礼拝するのを常としている。
 さらに遡って、大海皇子は死期の迫る兄天智天皇の元を離れて、命からがら吉野
に落ちのびる。そして、心機を掴んで吉野から伊勢に入り美濃の国を経て不破の関
から畿内に攻め入り、天智天皇の後継者大友皇子の軍勢を打ち破る。古代国家の大
乱、壬申の乱である。この乱後に、大海皇子は即位して天武天皇となり当時の近代
国家日本が成立していく。その大海皇子が最大の危機の中で吉野に逃れて天啓を得
た地に勝手神社がある。
 南北朝争乱や壬申の乱は、期せずして日本国家の個性を鮮明にした乱である。そ
して、この乱の主役である二人の天皇が居られたゆかりの地は、約七百年の歳月を
隔てているが、共に吉野山の百メートル圏内の近くに隣り合っている。さらに、近
年の放火による火災によって、勝手神社本殿は焼失し、ご神体は現在、吉水神社に
ある。
 また、義経が兄源頼朝に追われて弁慶とともに吉野に逃げ、そこに静御前が合流
する。その義経と静、また、弁慶等主従が吉野でひっそりと滞在したところも吉水
神社である。しかし、二人の生活は長く続かず、静は、東北へ逃亡する義経主従と
吉野山中の女人結界で別れる。そして、捕らえられた静の舞を観て頼朝軍の武将が
涙するが、その舞を舞った場所が勝手神社の中にある。
 後醍醐天皇の御陵は、御座所の吉水神社から三キロほど離れた山腹に北の京都の
方角を向いてある。
 以上が、昨日二十九日、幸いにも訪れることが出来た吉野。
亡き父が、我が家は南朝である南朝のために戦ったと言っていた理由もあり、私に
とって吉野は懐かしい山だ。
 また、吉水神社の宮司である佐藤一彦氏は、大阪府警の警察官をしておられた熱
血漢である。拉致被害者を救う奈良の会の会長もしておられる。そして、いつも社
務所で実に雄大な憂国の話しになる。まことに、南朝の地、吉野にふさわしい魂を
もたれる宮司である。

 さて、この南北朝争乱の時、京都では「二条河原落書」として後世に伝わる落書
きが加茂の河原に立てられ、都の評判になる。これは、「このころ、都にはやるも
の・・・夜討強盗ニセ倫旨」という書き出しで「流行るもの」を列挙している。そ
の列挙されているものは総てまがい物偽物である。つまり、「二条河原落書」は空
騒ぎ偽物ばかりが流行っていると都の時勢をあざ笑っている落書きなのだ。
 では、当年の世相は。
 平成十九年の「このころ、都にはやるもの・・・」は何か。
 京都の清水寺ではお坊さんが本年を象徴する漢字を「偽」と書いた。ということ
は、本年も「二条河原落書」の時代と同じなのか。なるほど、偽(当世では偽装と
いう)の流行を落書のように数え上げれば切りがない。

 そこで、ここでは一つか二つ、当世の「偽」を指摘しておきたい。それは、政治
やマスコミの「偽」だ。これは、国家の存亡と国民の命にかかわる「偽」だ。
 先ず、マスコミから。
 正直言って、赤福もちや吉兆の「偽装」は命に別条はない。
味が悪かったわけでもない。その証拠に、食べた人から味が悪いと苦情はでていな
い。さすが赤福もち、さすが吉兆、「けっこうな味でした」となっていたのではな
いか。私も、お土産にいただくと、「あ、赤福か」と喜んで食べていた。美味かっ
た。
 食品偽装の報道で不思議なのは、赤福や吉兆の命に別条のない偽装に大騒ぎをし
て企業を潰そうとしている割には、命に別条がある中国からの食品に関する報道が
全く為されなくなったことである。
 アメリカでは、中国製玩具に塗られた鉛害で大騒ぎになっているのに、日本では
ここ数ヶ月、危険性のない偽装で大騒ぎをしていて、危険性のある中国製品に関す
る報道がピタリと止まっている。C型肝炎では、マスコミは患者さんの訴えと「国
の責任」をキャンペーンしている。しかし、中南米で多数の死者が出ている中国製
薬品の害は報道しない。
 これは、「報道の偽装」ではないか。赤福もちや吉兆の報道姿勢からするなら
ば、マスコミは国民の命を守るために中国製品の不買運動を呼びかけるのが当然で
はないか。
 「沖縄戦における軍の命令による住民の集団自決」の記述を教科書で復活させる
ための集会に十一万人が集まったと報道されたが、実数は二万人くらいだったとい
う。
 これは、「報道の偽装」ではないか。マスコミは、赤福もちや吉兆で騒ぐ基準で
自らを点検せよ。
 以前、取材の記者自身が珊瑚に傷を付けて写真に撮り新聞に掲載して「心ない自
然破壊を許さない」と訴えたのは朝日新聞だった。
今も、中国製品に関する報道をしなくなったり、二万人を十一万人と報道した
り。これは誤報ではない。偽装である。全く、マスコミの「偽装」の体質は変わっ
ていない。
 この体質が、国民の命を脅かし、国論を左右しているから許せないのである。と
はいえ、数え上げれば切りがない。政治の「偽装」に移る。

 本年の政治の偽装で最大のイベントは、あの与野党の党首会談と、会談の当事者
の頭の中にある「国連中心主義」というやつだ。
 長年の老舗が、なーんだ、とあきれるような偽装をやっていたのと同じよう
に、長年政界にいた老舗が、なーんだ、この程度かとなった会談の顛末と「国連中
心主義」。
 しかも、この政界の偽装は、国策つまり国の命運を狂わしかねない。現に既
に、この御仁の国連中心主義によって、我が国の国際社会におけるプレゼンスとし
て重要なインド洋での各国部隊への給油活動は中断したままである。
 国際社会で我が国のプレゼンスがなくなれば、喜ぶのは中国である。よって、こ
の会談当事者は、会談後にそれぞれいそいそと中国を訪問して歓迎されている。
 我が国の国連中心主義とは、結局、中国が反対することはしないということであ
る。平和の為でも我が国の為でもない。国連の常任理事国である中国に従うこ
と、即ち中国の属国化である。
 結局、国連中心主義とはこれほどの偽装なのだ。心ある日本人なら、政界の「老
舗の偽装」によって、我が国が中国の属国に引きずり降ろされてたまるかと奮い立
つべき欺瞞である。
 本年、政界の偽装の中身が子供でも分かるように具体的に見えてきたのでよかっ
た。やはり、偽装を生み出す戦後体制からの脱却を忘れてはならないのだ。政界で
は、いくら長く棲息していようと、戦後体制の受益者は偽装議員である。所詮
「私」の徒だ。国の為にならない。

 ところで、我が国の首相は、この年末に未だ中国にいる。そして日中関係に「春
が来た」と実態から遊離した歯の浮くようなことを言っている。
 このような折り、今発売中の月刊誌「正論」に投稿した私の台湾に関する「一衣
帯水の友邦を見失ってはならない」と題した一文にありがたい反響が寄せられてき
た。そのなかに、会津若松の方からの親書があった。ご自分のお父上が台湾で小学
校の先生をされており、今の駐日代表の許先生の奥様が教え子であったと書かれて
あった。そして台湾に対する親愛の思いが書かれていた。このお手紙を拝読したと
き、私は日本と台湾の両国国民の深く暖かい繋がりを感じることができた。
 福田総理は、中国首脳から、台湾が台湾という名で国連加盟申請をすることに対
して反対の意見表明を求められ、「支持しない」と述べたと言うが、
「それは台湾の方々が決められることです。私がとやかく申すことではありませ
ん。それが民主主義国家というものです。」
と何故あっさりと言えないのか。
 私の「正論」誌に書いた一文の副題は「中国詣では愚の骨頂」というのである
が、なるほど、この度の野党の大集団の訪中と首相の中国での発言は愚の骨頂だ。
 首相の中国滞在も長すぎる。もう三日目ではないか。訪問を二十四時間以内で済
ませたワシントンDC滞在以下の時間にすべきである。アメリカと中国と日本
は、「正三角形」の関係ではないのだから。

 ところで、昨日、「めぐみへ 横田早紀江、母の言葉」(草思社)という本をい
ただいた。
 二〇〇二年九月十七日午前十時頃、訪朝した小泉総理に北朝鮮の金正日は、めぐ
みさんは死亡していると伝えた。小泉総理一行は「頭が真っ白になって、それを信
じた」。同日午後五時頃、政府は母の早紀江さんに金正日が言ったとおり「娘さん
は死亡されています」と伝えた。
 本書にはその直後の記者会見における母の言葉が書かれていた。
「・・・いつ死んだかどうかも分からないような、そんなことを信じることはでき
ません。」
「日本の国のために、このように犠牲になって、苦しみ、また亡くなったかもしれ
ない若者たちの心のうちを思って下さい。」
「・・・めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたのではないかと私は信じていま
す。いずれ人は皆、死んでいきます。本当に濃厚な足跡を残していったのではない
かと、私はそう思うことでこれからも頑張ってまいりますので、どうか皆様と共
に、戦って行きたいと思います。本当に、めぐみのことを愛して下さって・・・め
ぐみちゃんのことをいつも呼びつづけてくださった皆さまに、また祈ってくださっ
た皆さまに心から感謝をいたします。まだ生きていることを信じつづけて戦ってま
いります。ありがとうございました。」
 この会見の場にいた私は、この横田早紀江という母の言葉によって、拉致被害者
救出運動が国直しという国家的課題になったことを感じた。
 後日早紀江さんに、あの言葉を言おうと決めて会見に臨まれたのですか、と尋ね
た。それに対して、早紀江さんは、
「いえ、いえ、いつもそうですが、何を言おうと用意していなかったんです。主人
が泣いてしまって言葉が出なくなったので、その場になって言葉になったんで
す」と答えられた。その時私は、早紀江さんは人智を越えたところから神の言葉を
しゃべる人だと感じた。

 この「母の言葉」に「偽」はない。従って、この「母の言葉」を具現化するとこ
ろに、我が国の国民精神の復活と国家の再興がある。
 あたかも「二条河原落書」の如く「偽」に満ちた政界から、「真」を取り戻す為
に、この「母の言葉」がある。
 来年こそは、拉致被害者救出に関心を示さない者に限って人権擁護や世界平和や
国連中心主義を説く政界の「偽」の構造を取り払い、
偽のない「真」の政治活動を目指したい。ここまで「偽」が見えればこれは出来
る。
その意味で、来年は、我が国家にとって希望の年である。

 諸兄姉とご家族の、ご多幸を心よりお祈りもうしあげます。
 祖国への愛と誇りと希望をもって新しい年を迎えましょう。
 そして、友邦台湾の総統に民進党の謝長廷氏の当選を切に祈る。

(了)